今回の舞台はニューヨーク・ロウアーマンハッタンのトライベッカ。ウォール街にもほど近い高級住宅街です。
ここで事件が起こりました。フォトグラファーのアーン・スヴェンソン(→Artsy Arne Svenson page)が自分の家から見えるアパートに住んでいる人々を撮影し、その写真シリーズをギャラリーやウェブサイトで展示したのです。問題になったのは、スヴェンソンのプロジェクトでニューヨークのジュリー・サウル・ギャラリーで展示した「The Neighbors」。約1年にわたり撮影した写真のシリーズです。
アーン・スヴェンソン「The Neighbors #11」(2012年)
アパートの各ユニットには大きな窓があり、ガラス張りであったため、屋内の様子を望遠レンズを使えば撮影することができたのです。もちろんスヴェンソンは住人から撮影の許可は得ていませんでした。つまり、隠し撮りです。ギャラリーに展示された写真のなかには住人のマーサ・フォスターの3歳と1歳の子どもたちの姿もありました。問題になった写真自体の掲載は自粛していますが、検索すれば見つけることができます。
スヴェンソンのほうもさすがに被写体が特定されないように配慮はしていたとのことですが、その子どもたちの写真については特定できるものでした。
The Neighborsの#6と#12という2つの写真が問題になり、フォスターが削除の要求をしたところ、スヴェンソンはおむつ姿の息子と水着の娘が写っている写真#6を販売中止としましたが、母親が娘を抱き抱えている場面を撮影した写真#12については販売を継続。
そのため、フォスターは、スヴェンソンに対して、プライバシー権の侵害を理由に差し止めと損害の賠償を求める裁判を起こしました。※1
ニューヨーク州のプライバシー権
ニューヨーク州では、市民権法(Civil Rights Law)のなかでプライバシー権について規定があります。具体的には、広告目的又は商業目的において、自己の氏名、肖像、画像又は声を書面による同意なく使用している者に対し、差止め及び損害賠償の請求を認める、という内容です。※2 アート作品とプライバシー権に関する有名な裁判がありますので、2件ご紹介します。
バーバラ・クルーガー
ひとつは写真と短いフレーズの組み合わせによる表現手法で有名なアーティストのバーバラ・クルーガー(→Artsy Barbara Kruger page)が訴えられた事件です。問題になったのは1990年にクルーガーが制作した「Untitled (It's a small world but not if you have to clean it.)」。
クルーガーの作品は「Charlotte As Seen By Thomas」という写真家トーマス・ヘプカーがシャーロット・ダブニーを被写体として撮影した写真に赤のブロックとテキストを加えたものです。ダブニーの肖像が無断で使用されていたので、ダブニーはプライバシー権の侵害だといって写真を無断利用されたヘプカーとともに裁判を起こしました。※3
バーバラ・クルーガー「Untitled (It's a small world but not if you have to clean it.)」(1990年)
出典:ロサンゼルス現代美術館ウェブサイト
争点は、クルーガーによる肖像の利用が「広告目的又は商業目的」といえるかです。クルーガーの作品は販売されていましたので、条文を素直に読めば少なくとも「商業目的」とはいえるようにも思えます。
しかし、裁判所は、「報道価値ある事項又は公共の関心事項」についての表現は、アメリカ合衆国憲法修正第1条で保障される表現の自由に基づくものであるから、プライバシー権に勝るとされていることを指摘し、アートもそのような表現であると述べています。
また、過去の判例では、報道機関が報道記事を宣伝したり、新聞などを販売して利益を上げたりしても、それは表現の自由により保障される肖像の使用に関連するから、「広告目的又は商業目的」にはあたらないと解釈されています。
クルーガーのケースでも、クルーガーの展示を宣伝したり、ギャラリーで作品を販売して利益を上げたりしたからといって、「広告目的又は商業目的」としてプライバシー権の侵害になるわけではないと結論付けました。
フィリップ・ロルカ・ディコルシア
もうひとつは、写真家のフィリップ・ロルカ・ディコルシア(→Artsy Philip-Lorca diCorcia page)が撮影し、ニューヨークのペース・ギャラリーで展示されたシリーズ「HEADS」を巡る紛争です。これは、ニューヨークの公道を歩く人々を被写体の許可を得ずに撮影した作品です。
問題になった写真「Head #13」はタイムズ・スクウェアで撮影されました。被写体となったアーノ・ヌッセンツヴァイク(Erno Nussenzweig) は、ユダヤ教を信仰しており、そのなかでもクラウゼンベルグ派という自らの写真を商業目的で使用することが信仰に反する宗派に属していました。ヌッセンツヴァイクは、この写真を見つけると直ちにディコルシアに連絡しましたが、ディコルシアは自分に肖像を利用する権利があるという立場であったため、裁判となりました。※4
フィリップ・ロルカ・ディコルシア「Head #13」(2000年)
出典:ガーディアン・ウェブサイト
裁判所での判断は、写真の最初の公表から1年を経過していたことから、時効によってヌッセンツヴァイクの請求は成り立たないというものでした。
もっとも、裁判所は、ディコルシアによる肖像利用が「広告目的又は商業目的」といえるかについても検討し、ディコルシアの作品は表現の自由の保障を受ける「アート」であるからプライバシー権の侵害はない、という判示もしています。
裁判所は、何が「アート」にあたるかを判断するのは難しい問題であるとしながらも、ディコルシアは国際的に認知されたアート写真家であり、作品はアートギャラリーであるペース・ギャラリーで展示され、アートのコミュニティによってレビューを受けていることなども認定して写真が「アート」にあたるとしています。
The Neighborsは適法か?
「The Neighbors」に戻ります。このケースでは、撮影された場所は、公道ではなく、プライベートな空間である部屋の中です。住人は当然ながら撮影されるとは思っていません。それでも写真家の表現の自由が優先するのでしょうか?
裁判所の結論は、なんとプライバシー権の侵害はない、というものです!
まず、裁判所は、「報道価値ある事項又は公共の関心事項」の例外に触れて、アートによって提供されるアイデアの情報価値も公益に資するから、この例外と同様に扱われるべきと述べています。つまり、表現の自由で保障される「アート」であれば、プライバシー権に勝るということです。
スヴェンソンがアート写真家であり、写真がギャラリーで展示された作品であることは争いがありません。そして、裁判所は、作品の販売により収益を上げているという事実も、やはり従前どおり「広告目的又は商業目的」にあたらないことを覆すものではないとしています。
フォスターの最後の主張は、写真が不適切な手段で撮影されたものであるから、表現の自由によって守られずに故意による精神的加害として不法行為になるというものです。部屋のなかを隠し撮りですからね。
しかし、裁判所は、フォスターの屋内でプライベートな空間が撮影されたことは侵襲的なものではあるけれども、それでも刑法に違反するような行為ではなく、不法行為になるレベルではないとしました。被写体が子どもであることも裁判所は特に重視しませんでした。
日本の肖像権
日本では、肖像権について規定した法律はありません。ただし、最高裁は、「人は、みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する」といって、いわゆる肖像権を解釈上認めています。※5
最高裁の事案は、1998年7月に和歌山市内で起きたカレーライスへの毒物混入事件に関して殺人罪等により逮捕、起訴された被告人の法廷で、新潮社の写真週刊誌のカメラマンが小型カメラを隠して持ち込み裁判所の許可なく、報道する目的で被告人の容ぼうを写真撮影し、公表した事件です。この写真は、手錠をされ、腰縄をつけられた状態にある被告人を撮影したものでした。
最高裁は、被告人の肖像権を認める一方で、人の容ぼう等を撮影することが正当な取材行為として許される場合もあるとしました。
その上で、ある者の容ぼう等をその承諾なく撮影することが不法行為上違法となるかは、「被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性等を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものといえるか」を判断して決めるという基準を示しています。
色々要素をあげていますが、要するに、社会生活の上で受忍すべき程度を超える侵害なのかどうかを判断するわけです。この事案では、報道目的ではあったけれども、カメラマンは、裁判所の許可なく小型カメラを隠して撮影しており撮影態様が相当ではないこと、手錠をされ、腰縄をつけられた状態にある被告人を撮影する必要性もないこと、法廷は公開された場所であるものの、被告人は被疑者として在廷していて写真撮影が予想される状況で任意に公衆の前に姿を現していたのではないことを指摘して、社会生活上受忍の限度を超え違法だと判断しました。
スヴェンソンのケースではどうなるでしょうか。芸術目的ではありますが、撮影されたのは私人の普段の生活ですし、望遠レンズを用いておそらく目視では見えないようなプライベート空間である屋内を鮮明に隠し撮りしています。これらの事情からは日本では社会生活上受忍の限度を超えるという判断になるのではないでしょうか。
やや古い裁判ですが、作家井上ひさしの交際相手としてマスコミにとりあげられていた私人が自宅内の台所で料理しているところを週刊フライデーのカメラマンが夜間に塀の外から背伸びをして無断で写真撮影した上、フライデーに掲載したという事案で、裁判所は不法行為を認めています。※6
また、日本では、たとえ人の容ぼうを撮影していなくても、「撮影行為により私生活上の平穏の利益が害され、違法と評価されるものであれば、プライバシー侵害として不法行為」になる余地があります。
たとえば、グーグル・ストリートビューによって居住アパートのベランダに干してあった下着を含む洗濯物が無断撮影されて画像を公表された行為についてプライバシー侵害に基づく損害賠償が請求された裁判があります。※7
この事案でも、裁判所は、「被撮影者の私生活上の平穏の利益の侵害が、社会生活上受忍の限度を超えるものといえるか」を基準としています。そして、問題になった画像からは「ベランダの手すりに布様のものが掛けてあることは分かるが、それが具体的に何であるかは判別できない」ものであり、また、画像には個人名やアパート名が分かるものは写っていないとして、受忍限度の範囲内だと判断されています。
もっとも、部屋の屋内を鮮明に撮影したような場合を想定すると、たとえ人の容ぼうが写っていなくてもプライバシー侵害になる余地があるといえるでしょう。
ニューヨークのケースをみると、ここまでアーティストの表現の自由を重視してよいのかという気もしますが、アートマーケットの中心であるニューヨークならではなのかもしれません。アーティスト以外の方へのアドバイスとしては、ニューヨークに住むときにはカーテンを閉めましょう、ということでしょうか。
※1 Foster v. Svenson, 128 A.D.3d 150 (N.Y. App. Div. 1st Dep't 2015)
※2 Civil Rights Law §51
※3 Hoepker v. Kruger, 200 F. Supp. 2d 340 (S.D.N.Y. 2002)
※4 Nussenzweig v. DiCorcia, 11 Misc. 3d 1051(A) (N.Y. Sup. Ct. 2006)
※5 最一小判平成17年11月10日民集59巻9号2428頁
※6 東京地判平成元年6月23日判時1319号132頁
※7 福岡高判平成24年7月13日判時2234号44頁