奈良美智「Missing in Action」(1999)
出典:クリスティーズ・ウェブサイト
作品の価格が急激に変化することはアートの世界の特徴である。
例えば、奈良美智の「Missing in Action」(1999)は、2006年5月10日のクリスティーズ・ニューヨークのオークションにおいて108万ドルで落札された後 、2011年6月28日のクリスティーズ・ロンドンでは145万9810ドル(91万4850イギリスポンド)で落札された。
また、銀座蔦屋書店で2019年2月4日に名和晃平の作品集『METAMORPHOSIS』(特装版)として35万円で販売された10種類のマルチプルのひとつ、「Velvet – Trans – T.O.P (R)」(2019)は、2020年10月31日に開催されたSBIアートオークションに出品され、161万円で落札されている。
名和晃平「Velvet – Trans – T.O.P (R)」(2019)
出典:SBIアートオークション・ウェブサイト
このように作品の価格が上昇してセカンダリーマーケットで転売されても、落札価格からアーティストに対してお金が支払われることはない。
アーティストが得られるのはあくまで最初の販売時の売買代金だけなのだ。
しかし、じつはこれは国によって異なる。作品が転売されたときにアーティストにも一定パーセントのお金が支払われる国もあり、そのようなアーティストの権利を「追及権」(Artist’s Resale Right)と呼ぶ。
追及権とは?
「追及権」とは、アートディーラー、オークションハウスなどによって原作品が転売されたときにアーティストに対して取引額の一定パーセントが支払われる制度で、アーティストに与えられる権利である。
図1:追及権の仕組み
欧州ではいわゆる追及権指令(Directive 2001/ 84 / EC)に基づきEU加盟国を中心に導入されている。欧州の他、追及権を導入している国は、2017年時点で86ヶ国以上と言われる(*1)。
著作物の収益構造の違い
なぜ追及権が導入されているかは、冒頭で紹介した作品の価格の変化に加えて、著作物の収益構造の違いを理解しておかなければならない。音楽との比較が分かりやすいと思う。
音楽は、作品が生み出され、市場に流通していくときに、コピーはオリジナルと等価のものとして流通していく。ユーザーは、音楽CDを買ったり、スポティファイなどのサブスクリプションサービスを使用したりして音楽を聴くことで著作物を享受する。
これに対して、アート作品は、原作品の価値が重視される。もちろんアート作品のコピーに価値がないわけではない。例えば、アート作品がアパレルなどの様々な商品にライセンスされて収益を生み出すことはある。しかし、原作品の売買による金額と比べると、それは圧倒的に小さいだろう。
図2: 音楽とアートの比較
著作権は、コピーライトと言われるように、その中心は複製(コピー)をコントロールする権利だが、これでは原作品の価値が重視されるアート作品に十分な保護が与えられないのではないか、という問題意識がある。
追及権の契約による実現
日本には法律上、追及権は採用されていない。しかし、アートワールドのプレイヤーからは、この追及権を契約によって実現しようとする試みがされている。
カイカイキキとエスト・ウェストオークションズとの和解
2011年3月、現代美術作家の村上隆が代表を務める有限会社カイカイキキがエスト・ウェストオークションズ株式会社との間で、知的財産高等裁判所に係属していた著作権侵害訴訟に関して和解をしたことが公表されている(知財高裁平成21年(ネ)第10079号)(*2)。
この裁判は、村上隆を含む4人のアーティストが、エスト・ウェストオークションズに対して、オークションカタログ、ウェブサイト等に作品の画像が無断で使用されていることが著作権侵害に当たると主張して損害賠償を求めた事件である。
2009年11月26日、東京地方裁判所は、原告らの請求を認めてエスト・ウェストオークションズに対し、損害賠償の支払いを命じた (なお、認めた損害額は9万円から20万円)(*3) 。
知財高裁における控訴審で、カイカイキキはプレスリリースを出し、カイカイキキ所属のアーティストの作品が出品される場合、エスト・ウェストオークションズがカタログ等への画像掲載の許諾料として落札価格の1〜3パーセントを支払うという追及権に準じる内容の和解をしたと説明されている。
この和解後、最初にロイヤルティの対象になるエスト・ウェストオークションズのオークションが2011年9月9日に東京で行われ、村上隆「タイムボカン – Fatman Gold」(2006)、「タイムボカン – Little Boy Silver」(2006)が240万円で落札された(*4)。
村上隆「タイムボカン– Fatman Gold」(2006)
村上隆「タイムボカン– Little Boy Silver」(2006)
出典:エスト・ウェストオークションズ・ウェブサイト
これは、当事者間の訴訟上の和解(契約)を通じて追及権に準じる内容を実現する試みといってよいだろう。
スタートバーンの還元金
現代美術作家の施井泰平が設立したアートテックのスタートアップ、スタートバーン株式会社は、作品のデジタル証明書をブロックチェーンネットワーク「Startrail」に登録できるStartbahn Cert.というサービスを提供している。
このプラットフォームの特徴として、アーティストが証明書に契約条件(セカンダリーマーケットで作品が売却されたときにアーティストに一定の支払いを求めるなど)を盛り込むことができる。このような支払いをホワイトペーパーでは「還元金」と呼んでいる。
オークションハウスやアートディーラーなどの二次販売ハンドラーによって還元金が設定されている作品を販売された場合、スタートバーンのプラットフォームを通じてアーティストに追及権に準じる還元金が支払われる仕組みである。
出典:Startrail White Paper ver1.1(2020年3月6日)14頁
スタートバーンの仕組みは、契約とブロックチェーンテクノロジーを使用して柔軟に追及権を実現しようという試みといってよいだろう。
追及権の未来
繰り返しになるが、日本には追及権はない。しかし、スタートバーンのようなアートマーケットのプレイヤーによって、契約とテクノロジーを使うアプローチで追及権の思想を実現しようとする動きがある。
法制度としての追及権では、どうしても国ごとに内容が異なってしまう。また、中国や日本など追及権を導入していない国も多く存在するのが現状である。
しかし、スタートバーンのように契約とテクノロジーのアプローチが広く受け入れられれば、アートワールドである程度統一性のあるシステムが実現できる可能性もある。
法制度によらない追及権の実現が、アートワールドと追及権の未来なのかもしれない。
*1 文化庁「追及権に関する事務局説明資料」(2018年12月19日)。ただし、すべての国で追及権制度が適切に運用できているかは不明である。
*2 「カイカイキキとエスト・ウェストオークションズとの和解について」(2011年9月28日)
*3 東京地判平成21年11月26日(平成20年(ワ)第31480号)
*4 「村上隆に作品落札額の1% カタログ掲載の対価」asahi.com(2011年9月20日)