ある日自宅の外壁に落書きがされていたらどうするでしょうか。悪質ないたずらといって警察に通報する?それともペンキで塗りつぶすでしょうか?でも、その壁画が6,500万円(47万ポンド)になるとしたら?実はこれ、英国で起きた実際の事件です。※1
2014年の9月28日ころ、フォークストン・トリエンナーレという3年に1度のパブリックアートの祭典中、正体不明の有名ストリートアーティスト、バンクシー(→Artsy Banksy page)がビルの外壁に壁画「Art Buff」を描きました。
もちろん、バンクシーはだれの許可もとっていません。さて、この壁画はいったいだれのものになるのでしょうか?この壁画には最高で47万ポンドの評価がついたため、話題になりました。
バンクシー「Art Buff」
出典:Tim Maxwell, Becky Shaw, Andrew Bruce, Who owns street art?, The Law Society Gazetta, September 21, 2015
動きがはやかったのはテナントのほう。ビルでゲームセンターを運営していたテナントのドリームランドがオーナーに無断で壁画をビルの壁から分離して、ギャラリストを通じてニューヨークのギャラリーへ送ってしまったのです。そのため、トリエンナーレの主催団体クリエイティブ・ファンデーションがオーナーから壁画の所有権譲渡を受けたといい、ドリームランドに対して壁画の引き渡しを求めて英国で裁判を起こしました。
賃貸借ですから、所有権は不動産のオーナーにあり、テナントは不動産を使用する権利があるだけ、というのが出発点です。外壁は不動産の一部ですし、そこに絵が描かれてもやはり不動産の一部でしょう。
しかし、ドリームランドは、2つの主張をしました。
ひとつは、①賃貸借契約の条項によりテナントは、賃貸物件を「良好で、実質的に修理された状態」に保つ義務があるし、「物件の外壁を4年毎に塗り替える」義務があるから、テナントは壁画を分離できる。
もうひとつは、②その条項に従って壁から分離したら、壁画は賃貸借契約の黙示の条件によってテナントの財産になる、というものです。
裁判所の①(壁を分離できるか)に関する判断をみてみましょう。裁判所は壁画を処理する方法として、(1)上塗りする、(2)薬品により消去する、(3)壁を分離して取り替えるという3つの方法があると指摘し、(3)壁を分離する方法は他の方法と比べて非常に侵害の程度が大きいといいました。
壁自体を分離するわけですから、そりゃそうでしょう。そのため、壁画を分離することは修理義務を遵守するものではないと結論付けています。
②(分離した壁はだれのものか)についてはどうでしょうか。こちらも裁判所はドリームランドの主張を退けました。これまでの英国での裁判でつくられてきたルールは、まず契約の文言が明確で、全くあいまいさがないものであれば、たとえ裁判所がより適切な条件があると考えたとしても異なる意味に解釈する選択肢はない、というものです。
文言がはっきりしていれば裁判所もそれに従います。次に、書かれていない条件も契約の一部とすることができるのは、契約の当事者が契約に書かれていない条件を契約の一部とするつもりであったに違いないと裁判所が認定できる場合に限る、としています。
第三者がビルに落書きをした場合を想定した条項(バンクシー条項?)があればよかったのですが、まさかバンクシーが壁画を描くとは思っていません。
裁判所は契約に書かれていない条件が契約の一部になるかの検討のため、1886年の裁判例を参照しています。これは、オーナーがテナントに対してガスタンクとビルを建設するために土地を貸したところ、建設のための掘削中になんと2000年前の木製のボートが発見され、オーナーがボートの引き渡しを求めテナントが拒否した、という事例です。
当事者が思ってもみなかったものが発見され、しかも相当の価値があった点で、なんだか本件と似ていますね。
裁判所は、掘削されるものをテナントが処理することは規定されていなくても黙示の許可はされているものの、どの程度の許可がされているかを問題としました。当事者は、ボートが埋まっているとはもちろん知らないし、考えもしなかったのだから、想定される泥や土を超えて、ボートにまでオーナーの許可は及ばないと判断しました。
裁判所は、この裁判例をクリエイティブ・ファンデーションの主張を支持する理由にしています。当事者は、バンクシーの壁画のように相当の価値があるものについてまで、テナントが勝手に処理してよいとするまでの合意をするつもりはなかった、という判断です。妥当な結論でしょう。
最後に日本でバンクシーが現れたらどうなるでしょうか。まず、日本でも当事者間に契約があれば契約の条件に従って決まります。しかし、バンクシーを想定していることはまずないでしょう。
次に、法律の規定をみてみましょう。民法の242条に「不動産の付合」という規定があり、「不動産の所有者は、その不動産に従として付合した物の所有権を取得する」とされています。「付合」というのも馴染みのない用語ですが、一体化という程度の意味と思ってください。
ビルの壁に直接絵を描くときには、「従として付合」というよりもまさに不動産そのものなので、当然に不動産の所有者のものである、ともいえそうです。いずれにせよ日本でも不動産のオーナーに壁画の所有権もある、という結論になると思います。
テナントが壁画を手に入れるのはなかなか難しそうですが、英国で賃貸借契約を結ぶ際にはバンクシー条項の挿入もぜひ頭の片隅に。
※1 Creative Foundation v. Dreamland Leisure, [2015] EWHC 2556